揺籃歌



 人々が『ゲヘナ』と呼び、魔王・ルシファーが治めていると伝えている世界。 その荒涼とした世界の中心に、一つの巨大な建造物がある。 万聖殿とは真逆の存在であるその建物は、貴金属と宝石を惜しげもなく使って壮麗に、そして絢爛に作られているそれは、『悪魔のすべてが住まう場所』の名の通り、遥か昔に神と壮絶な争いを繰り広げ、堕とされた魔界の者どもがひしめく場所である。
 その万魔殿の一角。擬似太陽が穏やかな光を投げかける庭園で、巨大な狼が小さな少女にその体を預けていた。

「寝顔は、昔とちっとも変らないんだから……」

 珍しく素直に甘えてくる狼に、思わず笑みを溢した吟遊侯爵は、つるりとした切断面を見せる腕で狼の背中を撫でる。本当は昔のように、自身の掌でそのふかふかと柔らかな毛皮を撫でてやりたいのだが、 如何せん先の大戦で四肢を喪っては叶わぬことだ。
 ほんの少しの間、寂しげな笑みが幼さを過分に残したあどけない顔に浮かぶ……が、すぐにいつも通りの温和な表情に戻ると、その桜色の唇が幽かに動いた。柔らかな旋律と穏やかな歌詞は、かつて仔狼だった狼王に何度も唄った子守唄だ。
 静かに、静かに時間が流れていく。

「お休みなさい、私の可愛い狼の仔(ヴォルフィンク)。どうか、よい夢を……ね」

 眠る狼の背中を撫でながら、吟遊侯爵はゆっくりとゆっくりと歌い続けていた……。


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